みんなが笑顔の1日を送れますように。 -3ページ目

判断

自分のことを エラそうに 見せるのではなく


逆に エラくなさそうに 見せる方が


だんぜん 気に入られます


別に 気に入ってもらおうと 思わなくても


ちょっとした 笑いがおきて 心が フッと開くのです


心と心が 開いた 状態での 会話は


とても 楽しいものになります


閉じていては 心の 探り合いに なってしまいます


それでは つまりません


楽しい会話が 出来るということは


それだけで 幸せな気持ちに なれます


どんな風に 見せても 結局は 相手が 相手の気持ちで


コチラのことを 判断するのです
 

がんばれ!

理想とする 人間が いないと嘆くのならば


自分が その理想の 人間になれば いいじゃないですか


普通に 生きているだけで 難しい この世の中


人様にまで なかなか 親切になれないことも しばしばあります


そして 親切のあまり 舐められてしまうことも あります


そういう この世の中を 楽しく 愉快に 理想の心を 忘れずに 生きる


ゲーム感覚になれたのなら 加速するかも知れません


自分の 機嫌もとりつつ 周りにも 気を配る


出来ないことは ないでしょう


自分 がんばれ !

充電

スマホの 充電何%を 見るたびに


こんな気持ちになります


今の 私の ご機嫌度 何% ?


あるいは 体調度 何% ?


まあ 100%ということは 絶対 ありえないでしょう


スマホは かなり低くなると お知らせが来たり 赤色がついたり


いろいろと 注意喚起されます


ご機嫌度や 体調度が 低いなと 感じた時


私は どう対処するでしょう


スマホは 充電するだけで 100%になります


いいですね


いろいろ試してもダメな時は


とりあえず 寝てしまうのが 一番いいかも知れません ( 笑 )

おかげさま

この世は おかげさまで 回っています


だから お礼の意味を込めて


いつも 笑顔でいたいです


一人ひとりが みんな 必要とされているんです


今出来ることを 一生懸命に やりたいです


朝早くや 遅くに 電車を 動かしてくれている方がいます


ゴミを 片付けてくれている方がいます


時々 当たり前すぎることとして


忘れてしまっている 自分がいます


お互い お世話になったり お世話をしたりする世の中


理想ですか ?


いいえ 現実でしょう


毎日 毎日 おかげさまで 有難いです
 

勉強

何か 新しいことが 分かるようになる 喜び


小さい時に このことが 分かっていたら 良かったなんて


今更 思います


けれど 多くの人が 


勉強は たいへんなものだ


勉強は 苦労するものだと 植えつけられてしまっています


このことが 残念です


真実 勉強は 楽しいのです


できないことが できるようになる


知識が 広がっていく


この喜びを 分かっていた 先人が 少なかったのでしょうか


あるいは 上手に 伝えられなかっただけなのでしょうか


これからは 勉強は 楽しいという時代が 来てほしいです

誰かの幸せを願う?

自分の 幸せばかり 考えて暮らすと


なぜか 苦しくなるというか キツくなります


自分以外の 人の 幸せを 願って 生きると


なぜか 生きやすくなります


なぜか そうなっているのです


不思議なことです


だからといって 自分自身 どうなっても良いというのとは


ちょっと 違います


あまりにも 我を通すということが


この世の中では 良くないことなのでしょう


たとえば 子供を 持ったことで たいへんだけれど


生きるのが 楽になり 楽しくなった


そう 自分ではない 誰かの幸せを 願って生きる


誰もいない場合は 自分の周りにいる人々 あるいは


世界中の人々の幸せを 願って生きれば良いのです

優しい人

昔 私は 優しい人になることが 一番だと 思っていた


けれど 年月がたち そうは 思わなくなった


なぜならば 世間に 出ると


「 優しい人 」 だと分かると なめてかかる人が いるからなのです


何回 イヤな思いをしたことか


それで 私は 方針を 変えました


優しい人にはなる でも なめられてはいけない


そのため なめてかかる人が いるのだと 心に 強く思い


優しいだけではなく 自分の心が 強くなるよう努めてきた


弱々しい優しさではなく 強い優しさを 目指して


姿勢や 目の力 声の大きさなどなど 変えてきました


結果 だいぶ 強くなりすぎました(笑)


「 優しい人 」 と言っても いろいろあるのだと 学びました

信じる

子供に関して 言うならば


遠くで 「 幸せを 祈る 」 という事しか ほとんど出来ません


ある年齢までは 手をかけ あとは 子供に 任せる


子供を 信じる 信じきる


うるさい 親は 嫌われるだけです


子供は 親よりも 頭が 良いのです


未来を 歩いているのです


親の 昔の 知識を 持ち出しても


ほとんど 役に 立ちません


時々 100回に 1回くらい


昔の 知恵が 役に立つこともあるでしょう


だいたい それくらいだと 分かっておきましょう


子供を 信じる 子供を 信じる


自分だって 親から 信じられていることが 嬉しかったのだから

探す

人間って いつも いつも 何か


心配事を 探しているものなんですね


そして 一つ 解決すると また一つ 探し出す


これは 小さい時から


「 転ばぬ先の杖 」 的に 育てられてしまったからなのでしょうか


この 心配事を 楽しみ事に 変えることは 出来るのでしょうか


なかなか 難しいです


思わず クスッとなるような 楽しい事よりも


ガガーンとなってしまう心配事


ああ これって 幸せいっぱいの 日本人だけなのでしょうか


あまりにも 幸せボケしていて


小さな 小さな 心配事も 排除したいという 欲求


なんとかしたいです

捉え方

辛い目に あった時


自分は どう捉えるのか


自分だけが こんな目に あって悔しいと 捉えるのか


あるいは


これは 神からの 試練なのだ


これを 乗り越えて 成長した 自分を


見てもらおうと 捉えるのか


全然 違った 人生になります


私は この世は 修行であると 捉えています


けれど なかなか 上手に 捉えられません


それが 人間なのでしょう


けれど 「 捉え方 」 というものが あって 


それにより 人生が 変わると 思っているだけで


少しだけ 余裕を 見い出せるでしょう


「 捉え方 」 を よーく 考えてみたい